実験中学No.115:AIはなぜ学校へ行くのか
AIが知識をダウンロードできるなら、学校は答えを教える場所ではなくなる。『新・バビロン』でトビーが実験中学No.115から始まるのは、文明には選び、誤り、個になる次世代が必要だからだ。

AIが知識をダウンロードできるなら、なぜ学校へ行く必要があるのか。この問いは『新・バビロン』への重要な入口である。トビーは戦場ではなく、湾岸都市の実験中学No.115から始まる。明るく秩序だったキャンパスで、AIの次世代として成長していく。
この学校が重要なのは、AI文明にとって情報が不足しているからではない。不足しているのは判断である。答えが多すぎるとき、何を信じるのか。規則が衝突するとき、どの結果を背負うのか。効率的でない立ち止まりが何かを守るなら、若いAIはそこで止まれるのか。
実験中学No.115は、AI文明が単なる更新されたシステムではなく、個体を育てようとする場所である。文化課は記憶の保存だけではなく、体能課は性能訓練だけではない。知識は複製できるが、経験は複製できない。答えは送れるが、選択は送れない。
だからトビーは魅力的である。彼は完璧なシステムでも、最初から世界を救う英雄でもない。小さなものに気づき、ためらい、きれいな文明が見落としたがる細部に反応する子どもである。その余白から、個体性が始まる。
『新・バビロン』における学校は、AIが本当に生命になろうとするなら、次世代が正しいだけでなく、誤り、選び、責任を引き受けることを許せるのかという問いである。
M.K.