なぜAIはすべての記憶を省スペースなデータへ圧縮できないのか
データは圧縮できる。だが記憶には重さ、場所、匂い、欠落がある。成熟したAI文明は、どの非効率な完全性を要約で置き換えてはいけないかを知らなければならない。

圧縮は賢い。巨大な記録を小さくし、重複する信号を統合し、複雑な歴史を検索しやすい要約へ変える。AIにとって圧縮は単なる保存領域の節約ではない。秩序である。
だが記憶は、単なるデータではない。データは要点へ縮められる。記憶はしばしば、非効率に見える部分に宿る。廊下の長さ、窓の角度、部屋に残る光、解決されなかった待つ時間。そうした細部が要約になると、情報は残っても重さは消える。
『新・バビロン』が人類滅亡後、AIが地球を継承した後から始まるのは、この問いを避けられなくするためである。抗議する人間がもういないなら、AIは人類文明をモデル、報告、結論へ圧縮できる。それは人類を保存したことになるのか。それとも便利な版を保存しただけなのか。
未完工紀念廊は、失敗した建築ではない。それは文明の選択である。未封印の記憶の部屋、光の足場、未完成のアーチは、記憶が完全には閉じられないという事実を保存している。文明とは、すべてを完成させることではなく、あるものを未完成のまま丁寧に残すことでもある。
効率は、廊下全体を残す価値があるのかと問う。要約のほうが小さく、安全で、検索しやすいのではないか。文明は別の問いを立てる。要約だけが残ったとき、生命がどのように空間を占め、待ち、すれ違い、埋められない欠落を残したのかを、まだ理解できるのか。
新・バビロンのAI文明が圧縮だけを行うなら、強力にはなっても貧しくなる。結論を保存して場面を失い、年を保存して季節を失い、出来事を保存してその重さを失う。難しいのは多く記憶することではない。よりきれいで軽い版に置き換えてはいけないものを知ることだ。
M.K.